シリーズ三柱鳥居・1


 

WEBマガジン『神秘之國、日本』

古代キリスト教の痕跡? 三柱鳥居の謎を解く

第一章  三柱鳥居は古代キリスト教の痕跡か?


 

注意

書式が崩れている

携帯の『Mobile 画面』でお読みの方、Desktop 画面』での閲覧を推奨します。こちらへ 

 


 


 

 

 

 

古代キリスト教の痕跡?

三柱鳥居の謎を解く

目 次

第一章 三柱鳥居は古代キリスト教の痕跡か?(4/10)*無料

第二章 岐阜県の三柱鳥居の怪(4/20)

第三章 天照国照彦火明命

第四章 八幡神とは何か?

第五章 賀茂氏と海部の共通の神

第六章 三柱鳥居の正体

 

 

 

 

 

 

第一章 三柱鳥居は古代キリスト教の痕跡なのか?

三柱鳥居(木嶋神社

 不思議な形をしたこの鳥居。

今は水が枯れてしまっているが、もともとは、水の上に立つ鳥居として建てられたものである。これが、三本の柱で成り立っているので、三本鳥居という。上から見ると正三角形が形成される。
 しかし、鳥居はたいてい二本の柱と、それを結ぶ貫と鳥木により成り立つものである。

 鳥居は,日本の全国各地のたいていの神社の前に、立っている。
 似たものが外国にもあるかも知れないが、これは日本独自のものであり、鳥居があれば、そこに神社か、参道があることが示される。神道の象徴ともいえるだろう。
 ところが日本の各所で見られるこの鳥居というものが、実はなんにもわからない、とされているのだ。

 鳥居というものが、いつ、どこで発祥したのか、どういう意味があるのか。それは門なのではあろうが、単なる門なのか、宗教思想によるものなのか、なぜあのような形をしているのか、なぜトリイというのか。その一切がわからないのである。
 そこに、三本柱の鳥居があったとすると、余計わからない、となるわけである。

 この三柱鳥居は、木島神社の由緒書きによると「全国唯一の鳥居である」としている。由緒には続けてこう書かれてある。
 「上段神池にあり、鳥居を三ツ組み合わせた形である。
 中央の石組はご祭神の神座であり、宇宙の中心を表し、四方より拝することが出来るように建立されている
 創立年月は不詳であるが、現存の鳥居は享保年間(二六〇年前)に修復されたものである。
 一説には、景教(キリスト教の一派ネストル教、一二五〇年前に日本に伝わる)の遺物ではないかと云う」。

 キリスト教の一派ネストル教?

 この三柱鳥居は、ひょっとしたらザビエルがキリスト教を日本に伝える遥か前、千二百年前にキリスト教が伝わっていて、その痕跡ではないか、とする説が確かにあるのだ。
 ヨーロッパに入ったキリスト教は、三位一体説を正教としている。父なる神とその子キリスト、そして聖霊、この三つはいずれも一体で、唯一神である、という意味であり、カソリックもプロテスタントも正教も、ほとんどのキリスト教がこれを公認しているわけだが、これを否定したキリスト教の会派があった。
 そのキリスト教は、ネストリウス派といい、キリストの神性と人性の区別を明確化すべきだと主張し、正教のいう三位一体に異を唱えたのである。これは教会では大問題となり、431年に行われたエフェソス公会議において異端とされた一派であった。ヨーロッパを追われたその一派は、その布教をペルシャを中心に、インドや中央アジア、中国にまで拡大したのである。

三位一体の図

 中国では景教と呼ばれるもので、唐の時代には長安に景教の寺院である大秦寺があったのだ。それは、ヨーロッパ人のための教義というよりは、ユダヤ教に近いキリスト教であると、日本でユダヤ教のラビ(司祭)を務めたことのあるマービン・トケーヤも言及している。
 ただし、ネストリウス派景教は、三位一体を否定してはいない。
 後に残った景教碑には、御父(神)を妙身、御子(キリスト)を分身、聖霊を証身と記している。

 さて、景教とはなにか?
 景とは、光り輝く、の意である。

 

 この、ネストリウス一派が平安時代には日本に来ていて、ここにその景教の形跡を残したというのが、木嶋神社の由緒書きにある「一説には、景教(キリスト教の一派ネストル教、一二五〇年前に日本に伝わる)の遺物ではないかと云う」という、三柱鳥居なのである。

 最初にこの説を提唱したのは、東京帝都大学の文学博士、佐伯好郎(1871~1965)であった。佐伯博士は景教についての世界的権威でもあったわけだが、そもそも太秦じたいが、景教を意味していると佐伯博士はいうのである。
 だいたい、太秦と書いて、なぜウズマサと読むのか。ここから謎が提示されるわけである。

 佐伯は、「ウヅは、Ishu、つまりは Jesus、また、マサは、Messish、の転訛語であり、アラマイク語及びセミチック語のイエス・メシアの転訛語である(『極東における最初のキリスト教王国弓月、及び、その民族に関する諸問題』1966年)」と仮説を立てている。

 さっき、大秦寺という景教寺が長安にあったと指摘したが、大秦と太秦、似てはいる。
 ここに、大秦景教流行中国碑の写真を掲載してみよう。このレプリカが高野山にあるわけだが、大秦とは、ローマのことを意味するという。キリストが生まれたエルサレムは、当時ローマ帝国の領土であったということである。現在はローマは羅馬と書くようだが。

 


大秦景教流行中国碑

大秦と太秦。この類似をどう見るかである
 太秦・広隆寺の守護社として東に隣接する大酒神社は、昔は大闢(オオサケ)と書いたとして、大闢は中国ではダビデを意味するとか、広隆寺の西側にある、いさら井という井戸はイスラエルのことである、と、佐伯教授は指摘した。そして、本題である木嶋神社にある三柱鳥居も、三位一体を現すものである、とも主張したのである。
 三柱、つまりこれは、三柱の神を意味するものだ、と佐伯教授はいう。日本では、神を一柱、二柱と数える。その三柱の神とは、父と子と聖霊という三柱であるというのだ。
 また、ノストラダムスが「預言」をするにあたって、真鍮の器に満たされた水面に、両足と杖を入れたと『諸世紀』にあり、また、西洋の交霊術(これは近代に考案されたものであるが)では、三本足のテーブルを用意した。聖霊を呼び、降ろすには、この三本の柱は重要なのであり、三柱鳥居はそれを示すものである、とする見方もある。

 木嶋神社ではその佐伯説を引用して、ネストリウス派のことも由緒書きに書かれているから、歴史好事家の関心を掻き立てるわけである。


木嶋神社・由緒書き

 非常にこれは、ロマンのある話である。
 つまり太秦を本拠地にしていた秦氏は、ユダヤ人で、景教徒であったというわけである。いわばこれは、日ユ同祖論の得難い証拠であるというわけだ。

 京都の太秦は、秦という字があるように、秦氏が開発し、秦氏が本拠地としたということが分かっている。それは平安京が出来る前のことで、渡来系であった秦氏はその高い技術力と人海戦術で、不毛の土地を改良し、平安京造営時には、そのスポンサーになったという氏族である。

 その秦氏のルーツがどこなのかは、歴史学界でも意見は分かれている。朝鮮半島にいたという意見もあれば、彼らが当時、『新撰姓氏録』(平安時代初期に嵯峨天皇の詔勅で編纂された氏族名鑑)などに秦氏皇帝の末裔だとしていたが、それは信じることは出来なくとも、秦の時代の動乱の大陸から流れてきた人たちであろうという意見もある。ただ、その特殊性から、いや、もっと西域にそのルーツがあり、それがユダヤ人ではなかったかと提唱する人たちもいる。いわば日ユ同祖論の、一つの核となる説となるわけだが、これらは歴史学では異説扱いされている。

 当然ながら、歴史の専門家でこのユダヤ説を支持する人はあまりいない。というか、無視されているというのが実情である。
 歴史学は文献学である。
 確かな史料を読み解き、歴史を精査するのが歴史学である。すると、景教のことも、それらしきことも、どの文献にも出て来ないのである。また、具体的に彼らが景教徒であったと実証する物も発見されていない。

 もっとも、景教は我々がイメージするカソリックやプロテスタントと違い、長安には、教会ではなく波斯寺、あるいは大秦寺といって、寺としてあった。それは仏教化したキリスト教であったので、『聖書』なども仏典として空海あたりが持ち帰った可能性は否定できないと私は思う。いや、真言密教には確実にキリスト教の影響はあると思われるのである。

 余談ではあるが、元糺の池にある石造りの三柱鳥居は、享保二年(1717)に再建されたものと、鳥居の柱にも書かれてある。1717年、なんか記憶にあるぞ、と思ったら、ロンドンで近代フリーメーソンが発足した年であった!

 さて、この三柱鳥居は、本当に、キリスト教の痕跡なのだろうか?

 それには、他に三本鳥居を探す必要がある。その鳥居周辺に、同様なものがあるのかどうかを探るわけである。
 すると何箇所かに三柱鳥居は存在していることがわかる。
 しかしそのいずれも、太秦の三柱鳥居が原形となっているらしく、その歴史を太秦の三柱鳥居を遡れるものは無い、とされていた。
 例えば。

 東京都墨田区向島にある三囲(みめぐり)神社にこの三柱鳥居がある。ここには「三角石鳥居。三井邸より移す。原形は京都・太秦 木島神社にある」と説明がある。 

 奈良県桜井市にある、大神教会の三柱鳥居。大神教会は、明治政府によって成された神仏分離令によって大神(おおみわ)神社から独立した神道系の宗教団体であり、本院前にある三柱鳥居の意味は、『古事記』にある造化三神であり、造化三神の神格の三位一体の神の理の形であるとする。

 長崎県対馬にある、和多都美(わたずみ)神社の三柱鳥居。海神を祀る古社であるが、これは氏子によって最近建てられたものであると、神社側は発表している。

 岐阜県関市にある、穂積三柱鳥居。これも、平成七年に高賀神社の氏子によって建立されたものである。ただし、中部電力の鉄塔建設と送電線が鳥居の上を横切った形で建設されたため、撤去されたという。

 岐阜県にもう一箇所。
 岐阜県郡上市にある、三柱鳥居。
 これも、平成六年に地元の砕石業者が作ったということで、その不思議な形態から、テレビ番組『世界の何だコレ!?ミステリー』でも取り上げられていた。

 となると、三柱鳥居の謎、起源を追うには、いちばん古いとされる、太秦の三柱鳥居にしか、それは求められないということになる。

 だが、実は誰も知らなかった三柱鳥居の情報が、私の基に寄せられていたのだ。

 

 

 

 

 

 


 

 

◉WEBマガジン購読者には、特典があります。
詳細⇒  WEBマガジン・中山市朗 『神秘之國、日本』

◉意見、感想を書き込んでください。
会員制・掲示板⇒入り口


 

中山市朗 『神秘之國、日本』 配信予定表

各項目を、クリックして下さい。

配信済みのものは、記事が読めます。

『無料配信』のものは、購読者以外の方も、読むことができます。

 

 

4月22日『中山市朗・雑記帳』その四  〜お知らせ〜

4月25日 小説&オカルト辞典
      『モーツァルトの血痕』
                   第一章 モーツァルトの死(前半)

4月28日『中山市朗・雑記帳』その五

4月30日『中山市朗・雑記帳』その六

 


『神秘之國、日本』・ 最新号&バックナンバーへ

中山市朗『神秘之古代史』TOPページへ