シリーズ日ユ同祖論・4(2019年9月号)


 

WEBマガジン『神秘之國、日本』

古代イスラエル人と大和民族

~日ユ同祖論の徹底検証!~

 



 

 

古代イスラエル人と大和民族
~日ユ同祖論の徹底検証!~

 

 

第三章・日露戦争とユダヤ資本とユダヤ結社

 


 

 日ユ同祖論を説いた、景教学の世界的権威、佐伯好郎博士。
 その動機を訊ねると、「ユダヤ資本を日本に導入する為」であったという。
 佐伯博士が日ユ同祖論について、最初に言及した『太秦(禹豆麻佐)を論ず』を寄稿したのは、明治41年(1908)のことだ。これは、日露戦争(1904/2/81905/9/5)に勝利して3年後ということになる。
 明治41年ということは、ほんの40年ほど前までは、侍がいた時代だったということだ。
 谷崎潤一郎は小説『刺青』の冒頭に、こう書いている。
 「其れはまだ人々が愚(おろか)という貴い徳を持って居て、世の中が今のように激しく軋(きし)み合わない時代であった……

 侍がいた江戸時代の日本は、決して遅れた国ではなかった。文化も民意もその生活水準も教育も、江戸や大坂などの都市部においては、見ようによっては世界的にも高いものがあったのである。
 鎖国というのは幕府によってその貿易を独占していた、ということでもある。また、鎖国をしても内需だけで回る経済を持ち、しかも人口100万を抱える大都市江戸はインフラも整い、それを支える経済力もあったのだ。
 しかし、欧米では産業革命が確立し、機械化されて世界規模の貿易をし、立憲君主制、民主主義性といった政治システムを構築し、国家と言う意識も浸透していた。
 日本はいわゆる、この近代化に後れを取っていたことは確かであった。そして、これといった産業も持たず、世界に市場を持たない貧困な国であった。
 また同時に、世界を見回してみれば、アジアの国々は欧米列強によってほとんどが植民化されていた。しかも日本にとってずっと超大国であった中国までもが、アヘンでボロボロになり、英国に売られた戦争を繰り返して、清帝国は半植民地化されていたのである。清帝国はもはや、国の統治能力を失っていたのである。
 香港に留学していた高杉晋作は、その目で悲惨な清帝国の姿を見て、日本に近代化し武装することを提言している。

 明治になって、日本は国民にナショナリズムに目覚めさせ、富国強兵することを政策の一つとした。
 経済の発展と近代化した軍隊を持つ。これによって近代的な国家と成し、欧米列強と肩を並べようとする政策である。これを成さないと、日本も植民地化されるという危惧が現実のものとしてあったわけである。
 そして、侍が跋扈していた国が、その40年後には、近代化した軍隊を持ち、日清、日露の戦争に勝利し、白人たちの列強国と肩を並べるような存在となった。このことは、国家を指導していた政治家や軍人、文化人たちの理論、目標でしかなかったことが、現実味をもったものであると国民に知らしめ、実際に日本は、その後起こる第一次大戦での勝利を得て、国際連盟が発足したとき、非白人の国で唯一常任理事国、五大国の一つ、つまりともなったのである。
 しかしそれは、日本一国で成し得るものではない。

 実は、この時すでに、日本はユダヤ財閥の財力と戦略の肩を借りて、日露戦争に勝利したという現実があったのだ。
 日露戦争が始まる前、日本はまだ近代化をはじめて30年余り。ましてや大型輸入機械を導入しての工業化は、1880年代になってようやく始まったところである。対してロシア帝国は、ナポレオン軍を打ち破った大国である。
 当時の国家予算は、日本はロシアの1/10、陸軍兵力はロシアの113万人に対して日本は23万人。海軍は日本海軍が駆逐艦、水雷艇も含めて合計排水量が264600トンに対して、ロシアは駆逐艦以上の艦艇だけで60万トンと、その差は歴然であった。
 誰がどう見ても、ロシアと戦って日本が勝つ見込みはなく、どこの国もどこの銀行も、日本の公債など買ってくれない。しかし、資金が無くては戦争が出来ない。
 ならば戦争などしなくていいではないか。
 これは、今の価値観である。

 世界は列強の時代、帝国主義の時代であった。
 ロシアは不凍港を欲しがり、朝鮮半島を押さえ、日本に攻めてくに違いない。そうなると、日本という国は消滅し、ロシアとなるかもしれない。そういう危機感は当時の日本国の指導者、政治家、文化人たちの間には、リアルにあって震え上がったのである。
 まず、ロシアは朝鮮半島の付け根にある旅順港を欲しがって、大艦隊を日本海まで派遣するだろう。これに対抗するには、日本も海軍を最強のものとし、最新鋭の戦艦の建造も急がれる。
 しかし……
 日本はまだ、世界を相手に商売できるほどの産業も無く、天然資源も無い国である。最新鋭の戦艦も、陸軍の装備も必要だが、金が無いとままならない。もちろん国民は重税にあえぎながらも懸命に働いた。それでも日本は貧乏な国であったのだ。

 この時、日銀総裁の高橋是清は大日本帝国政府からの委任を任され、資金調達の為、世界中を周り、資金援助を求めていた。
 第一回の戦費調達として、是清は政府より1000万ポンドの資金調達の任を受けていたのである。
 米国に渡っていた是清は、ニューヨークの銀行家や資本家にあたってみたが、まったく望みはみいだせず、イギリスのロンドンに場を移して、調達を始めていた。
 日英同盟を結んでいたこともあり、英国の銀行団が何とか500万ポンドの国債を引き受けることを取りつけたが、まだ500万ポンド足りない。しかし、米国、英国の銀行、投資家がこれ以上相手をしてくれないのでは、もう万策尽きた……
 するとここに、ユダヤ財閥のヤコブ・シフが救いの手を差し出してくれたのである。
  19045月、ロンドンでのことだった。
  突如、ユダヤ系、クーン・ローブ商会から、シフの要請により資金調達がなされたのである。
 是清はこのときそれは「偶然」の出会いであったと自伝に書いている。そして、「なぜ、シフが資金協力してくれたのかわからなかった」とも言っている。いや、シフの名前さえ知らなかったという。

高橋是清

 

ヤコブ・シフ

 

 クーン・ローブ商会。当時、モルガン財閥と並ぶ大投資銀行であった。
 ともかく、シフと言うユダヤ人が、日本の国債を買ってくれたのである。
 おそらく、近代において、日本とユダヤ人の最初の遭遇がこれであろう。いや、明治の開国により、大日本帝国の政府は大勢の西洋人を雇い、近代化を進めるが、『明治憲法』の草案作りには行政法学者のアルベルト・モッセというドイツ系ユダヤ人が関っていたし、日本で暮らした最初の外交官はローレンス・オリファントという英国人で、神秘主義を信じる著述家であり、彼はユダヤ人をパレスチナに移住させるという壮大な計画にとりつかれたが、これは後に吹き荒れるシオニズム運動の先駆けとなった。また、横浜や長崎は、実業家として来日したユダヤ人たちのコミュニティーがあり、ユダヤ教の礼拝所(シナゴーク)も作られていた。しかし、日本人がユダヤ人というものを意識したのは、シフとの遭遇にあったのである。
 実は、シフの戦費調達については、偶然ではなかったのだ。逆に高橋に近づいたのはシフであるという話もある。

 シフは19042月上旬にシフ邸で開催されたユダヤ指導者の会合で「72時間以内に日露間で戦争が勃発する。日本の公債引き受けの問題が提起されている」と発言している。シフは、いやユダヤの指導者たちは、日露戦争が起こる前にそのことを知っていて、日本の国債についての言及があったということだ。
 つまりは、日露戦争勃発の原因の一つに、ユダヤによる画策があったとみるべきであろう。その画策の成功の先にはロシア帝国を転覆させるという、ロシア革命が計画されていたのである。

 ヤコブ・シフは、ユダヤ結社ブナイ・ブリスのメンバーであった。彼は結社内でのロシア革命運動委員会の議長に任命されていて、その流れで資金調達がなされたのである。日本は知らずのうちに、ユダヤが目的とする革命の加担をしたということになるわけである。

 

ブナイ・ブリス ロゴ(Wikipediaより)

 

 さて、この時調達された金額は、500万ポンド。今の相場では5000億円。これを機に日本は3回にわたって7200万ポンドの公債を募集、シフはドイツのユダヤ系銀行やリーマン・ブラザースなどに呼びかけ、うち4100万ポンドはユダヤ系銀行や投資家が引き受けてくれて、これも実現したのであった。
 かくして、日本は帝政ロシアとの戦争に、辛くも勝利することが出来たのである。
 だが、彼の一声で世界が動くような巨額な資金が右へ左へと流れていく。ヤコブ・シフという一ユダヤ人の力とは、何だったのだろう。

 ところで、なぜユダヤ結社がロシア革命をやろうとしていたのであろうか?
 ロシアにはたくさんのユダヤ人が住んでいたのである。
  『屋根の上のバイオリン弾き』という有名なミュージカルがある。あれはロシア系ユダヤ人の話であり、ラストで彼らは村を追われるように、彼らはボグラム、つまりロシアにおいて、虐殺のターゲットにされていたのである。ポグラムは、1881年以降、度重なって起きたが、特に1903年バッサラビア地方のキシニョフ市で起こった事件は、子供、女性を含む49人が殺害され、500人が負傷、700世帯が家を失ったのである。ロシアではこのような反ユダヤ主義が渦巻いていたのである。これについて、ドストエフスキーは「ユダヤ人はロシアに革命を起こすであろう。ユダヤ人はロシアに入った毒であり、悪魔である」と書いたほどだ。
 ユダヤ人は国を持たない民族である。アメリカのニューヨークにユダヤ人たちはいたが、ロシアの内部のことについて、アメリカ政府が干渉するはずもない。ユダヤ人の問題はユダヤ人が解決するしかなかったのだ。

 日露戦争は、やはり不凍港をねらって日本海に入ってきたバルチック艦隊を破ることで、大日本帝国が勝利したが、これも見方を変えると、ユダヤの力があったことを知ることになる。

 対馬沖で壊滅したバルチック艦隊の本隊は、スエズ運河を渡らずに、アフリカの希望岬を経由してインド洋へ至り、そこから対馬海流に乗って朝鮮半島を目指したのである。遠回りをしたロシア軍艦の船底には牡蠣などがいっぱい張り付きスピードは落ち、長い航海で士官も兵士たちも疲れ切っていたのだ。東郷長官率いる連合艦隊は、バルチック艦隊は絶対に近道を来ると、対馬沖に全艦隊で待ち伏せ、やって来たバルチック艦隊を撃滅できたわけである。

 

バルチック艦隊東航図(Wikipediaより)

 

 ではなぜ、バルチック艦隊の本隊はスエズ運河を通らなかったのか?

  スエズ運河を統治していたのは、イギリスであった。日本とイギリスは日英同盟を結んでいたが、イギリスはロシアと戦っていたわけではない。だからスエズ運河を渡るバルチック艦隊を軍事力で防止することはできない。これについては、バルチック艦隊の司令官ロジェントヴェンスキーがイギリスに遠慮したという説がある。
 しかし、当初フランス人がもっていたスエズ運河の権利を400万ポンドの即金で買収し、イギリス政府に与えたのは、当時のイギリスの首相、改宗はしていたがユダヤ系生まれのベンジャミン・ディズーリの決断と、彼に応えて資金調達をしたのはユダヤ系財閥のロスチャイルドであった。
 つまり深読みをすると、これは日本に援助したクーン・ローブ、ブナイ・ブリスのロシアの革命運動、イギリスへ借りを作ったロスチャイルドという各ユダヤ組織との連動があったと見ることができるのである。現に日露戦争以後、帝政ロシアは弱体化し崩壊する。
 日露戦争の終結の年、1905年、サンクトペテルブルクでデモをしていた労働者に向かって軍隊が発砲するという「血の日曜日」事件が発生する。セルゲイ・Mエイゼンシュタイン監督の名作『戦艦ポチョムキン』は、この頃の事件を映画化したものであったが、この時、革命運動にスイッチが入り、ロシア革命が始まったのである。
 さらに、19171116日に「10月革命」が起こり、ロマノフ王朝が崩壊し、新政府が樹立、5年後に世界初の社会主義国家、ソビエト連邦が建国されるに至るのである。
 ところが「10月革命」にはロシア人はほとんど参加せず、新政権樹立のメンバーのほとんどはユダヤ人であったという事実をご存知だろうか?

 ソ連新政府の最高議長のレーニン、赤軍政治委員のトロツキー、民俗政治委員のスターリン、内務政治委員のジノビエフなど、19人の閣僚中、17人がユダヤ系かクォーターであったのだ。
 10月革命を成功させたトロツキーは、本名をブロンシュタインとするユダヤ人であったし、ソ連政権の成立を宣言した全露ソビエト大会議長であったカーメネフ、ロシア共産党コミンテルン執行部書紀となるラディック、外務人民委員(外相)となるリトヴィノフ、あるいは、ステクロフ、メシュコフスキー、ダーセフ、ボグダノフ、スハノフらはユダヤ人であった。
 ユダヤ人がパレスチナに移住し、ユダヤ王国を作ろうとする運動がシオニズムであるならば、現体制を転覆させて解放をこころみるものがロシア革命だったともいえるのだ。
 ところが奇妙なことに、公にはレーニンはロシア人、スターリンはグルジア人となっていた。レーニンはハザール系ユダヤであり、スターリンはジュガシビリ(ジュウ=ユダヤの子孫)という本名を嫌い、スタリーリン(鉄)というあだ名を正式な名前にしているのだ。だが、彼らがユダヤ人であったということは、ソ連内部では禁句とされたのである。
 ロシア革命はロシア人が行ったという大義が必要であったのだ。
 シフは、第一次世界大戦勃発前後に世界のほとんどの国々に融資を拡大したが、ロシアへの融資はせず、それどころかロシアとの金融取引を全面的に拒否し、他のユダヤ系銀行にも同様の対処を求めたのである。ところがシフは、1917年には、トロツキー、レーニンには2000万ドルの資金援助をして革命を支援しているのだ。そして、遂に革命は成功し、ソビエト社会主義連邦が建国することになり、そのリーダーたちがユダヤ人で占められたのである。
 フリーメーソンやユダヤの陰謀というと、眉をひそめて「そんなこと、あるものか」と言う人も多いだろうが、フリーメーソンはともかく、ユダヤ人がその財力を活かして、世界を動かしている、という事実があったことも見なくてはならない。
 世界を遊歴していた佐伯好郎博士は、そこを見たのであろう。

 佐伯好郎が『太秦を論ず』を書いた動機が、マルクス主義歴史学者、歴史哲学者の服部之総(はっとりしそう)の「(佐伯)先生はどんな動機から景教碑文研究をはじめられたのですか」という質問の答えが「アメリカとカナダに5年間留学したが、ユダヤ資本を日本に導入する志を立てて、そのために打った第一着手が、太秦氏猶太人の着想であった。そして『歴史地理』の編集者喜田貞吉と親交があったので、明治401月号に掲載した『太秦を論ず』であり、これが後年景教碑文に着目するための、動機になった」と言う、時代的背後にはその動機になるべく、ユダヤ資本、あるいはユダヤによる革命の意識への理解が、歴然とあったというべきだろう。

 また、思想学者で政治家でもあった森戸辰男は、『佐伯好郎遺稿並伝』の中に「学者としての佐伯先生」を寄稿し、「(佐伯)先生はなぜこの難しい研究課題を選び、これに傾倒されるようになったのか。これに関連して、新聞紙上の対談には、いろいろな意見や、先生の思いでも述べられているが、最も信頼できると思われるのは、『景教の研究』の序文で先生自身が語っている言葉であろう。それによると、カナダのトロント大学で言語学の歴史研究をやっているさい、マックス・ミュラーの著書『インドは我々に何を教えうるか』を読み、それに刺激されて『第19世紀は、欧米人が印度文明の心理を把握し始めたる時代であるが、第20世紀は欧米の諸国が支那の文明の真相を理解し、我が大日本帝国の精華を会得する時代でなければならぬ』と言う主張に共感し、この機運にさおさして、われわれ日本の学者は、欧米の学者に遅れないように、むしろ彼らに先んじて、東洋の、なかでも支那の研究をやらねぱならぬ、と考えられた。時あたかも日露戦争の頃であった」としている。また森戸はこうも指摘している。
 「(佐伯)先生によれば、東西の文化交流に登場してくる宗教の背後には、強大な国家権力が存在している。それゆえ、アジアのわれわれは外来宗教にたいしては、単に抽象的理念としてではなく、かような性格を持つ背後の実態を把握して正しく対処しなければならないことを警告されている」
 また、愛国者としての佐伯にも触れている。
 (佐伯)先生の言葉を引用すれば「『今日の国際情勢の下では欧米列強の政治経済的動静を無視して、支那基督教の研究をなすことはできない』というのも、『欧米の基督教の伝導事業は、欧米列国の帝国主義や教会至上主義や資本主義を支那基督教伝道事業の背景としているからである』

 佐伯は、91歳の時、中国史学者で広島大学教授の今堀誠二との対談にあたって、今堀の「景教の研究を始められた動機を聞かれたところ「ユダヤ問題を研究していたからだ」と言っている。今堀が「ユダヤ問題で景教にはいられたのですか? 日本法制度をやるために比較法制史の研究を始め、ローマ法までさかのぼられたために景教にはいられたと聞いたが」と言う質問に『法制度もあるが、ユダヤ問題は大きなものです」と答えている。

 景教学の第一人者となった佐伯好郎博士が、まずはユダヤの問題に関心を持ってもらうために「太秦を論ず」を書いたことは間違いないところだろう。
 しかし、そのいわゆる日ユ同祖論を最初に言った佐伯自身が、そのことをどれほど確信していたか、いや、本気にしていたかはどうもわからない。
 とにかく、日ユ同祖論なるものが、戦争を遂行していく大日本帝国の立場と推進目的を補おうとした、愛国主義者、あるいはキリスト教徒から発せられるようになったことは、事実であり、同時に彼らは反ユダヤ主義と言う相矛盾したものを抱えるようになるのである。

 日ユ同祖論が明治末期から、大正、戦前の昭和にかけて唱えられた背景に、そういうものがあったことは、まず理解しておかなければならないのだ。

 ちなみに、ロシア革命を成功させたユダヤ人には、二つの流れがあった。
 一つは、シオニズムである。自分たちユダヤ人こそが世界を支配せねばならないというユダヤ人たち。もう一つが共産主義であった。共産主義者のユダヤ人はドイツやアメリカから来たユダヤ人で、彼らはユダヤ教を信じない革命家であった。結局ユダヤ教徒たちは、共産主義者と対立するようになり、内部でし烈な闘争が起こったのである……

 ところで、明治の日本政府がユダヤ系銀行や投資家から借りた戦費は、その後どうなったのだろうか?
 実は、日本国がずっとその返済を利子付きでやっていて、82年後の昭和61年(1986)に完済している。そしてその数年後、バブル経済の崩壊で、日本経済は大きく後退したのである……

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

※色が違う箇所がありますが、意味意図はありません。

 


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